エスキモーの人達にとって、白は100種類あるという話を読んだことがあります。
日本では緑が美しいこの季節、緑の種類は100種類では納まらないのではないかという気がしてきます。それが全部言葉と結びつくかどうかは別としますが。
緑に名前を付けることが、現代だからこそできそうな気もしてきます。
それはさておき、全国的な自粛要請によって、家での過ごし方を工夫しておられる方も多いことでしょう。
私は、今までしてきた挫折の数々のうちの一つに着手することにしました。
振り返って見ると私は、挫折以外のことを何一つ成し遂げていない人間なのです。
過去の挫折だけが私を作っている構成要素であるといえます。
その数ある挫折の中でも、選りすぐりのものがあったので、ひっぱりだして、久々に触ってみました。
大学の英語サークルのディベート部のものです。
当時私が所属したチームは日本でトップレベルでした。スポーツでいうところのインカレみたいなものもあり、その上位の方で争っていました。
練習はストイック過ぎました。そして挫折の一番の原因は飲み会がストイックだったことだと思います。当時の大学の飲み会というのは常軌を逸してました、身体がいくつあっても持たないです。
ただ、それでも3~4ヶ月くらい続けて、へなちょこディベーターとして名を馳せてる期間があり、そのエッセンスをいつかまた物が解るようになってから、やり直そうという思いがあってか、その時のテープや資料が残っていました。
そのテープを聞いてみると、ものすごい勢いで英語を喋る学生の声が入っていて、ほとんど意味が分かりませんでした。ただ、その情熱は伝わって来ました。
あるテーマについて、肯定側と否定側に別れて各二人チームで主張と立論をして行くゲーム。制限時間があるから猛スピードで英語を喋らなくてはならないし、そのための準備や戦略や練習によって勝ったり負けたりする、知的なスポーツです。当時のメンバーはみんな個性的でしたが、その勝負に青春を賭けていました。
「ダムが必要か否か」について一年かけて議論してました。
欧米では割とメジャーな競技ですが、日本にこんな世界があるなんて多くの人は知らないと思います。
そういうのを紹介してくのは挫折者の使命かもしれません。
挫折も捨てたもんじゃない。
そうですね、今だったら「政府は現金給付をするよりもPCR検査の環境を整えるべきである」ってなテーマになるでしょうか。
技の一つ:ソルベンシーアタック(解決性)
「現金給付は経済対策にはなるとしても、感染症の解決にはなりませんよね?」
やす