若星Z☆つれづれ日記

若星Z☆=わげすたーづ、と読みます。 みちのく杜の都・仙台を拠点に活動しています。一緒にうたってみませんか?メンバー常に募集中。【連絡方法】 下記のメールアドレスまでご一報ください。 練習場所等のご連絡をさせていただきます。 演奏等のご用命もこちらへどうぞ。 アドレス wage-starz@hotmail.co.jp

年末のはも

そういえば佐賀県に行った時のことを途中まで書いたんだった。

仙台合唱団の機関誌「わわわ」にもある通り、一足先に合唱発表会Bの部で歌った仙台合唱団は中々いい演奏をしてきたようだ。

私は審査員じゃないから細かいことは分からないが、たびたび聴くように「お気に入り」に登録しようと思うぐらいの出来だったようだ。

その音源のリンクはこちら↓

星は今

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ことばを声に

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それから、わげすたーづの音源も公式のものではないですがブログ限定でリンクしておきます。

ひなた

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紙吹雪

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わげの方は発展途上で、伸びしろを発見できると思います。

 

演奏が終わり、みんなで会場である佐賀市文化会館のレストランで昼食をとりました。

うたごえの音楽イベントのもろもろに参加する人もいたり、合唱発表会にだけ参加したりと、参加の度合いは人それぞれですが、それが個人ごとに違うのがまた楽しい。

それで、私はすみませんが観光重視の後者になります。

 

前日に日没後の様子しか見れていなかった柳川の街を、一人の観光客となり、歩き回りました。佐賀駅からバスで約1時間で西日本鉄道柳川駅に着きます。

バスの行きかえりで都合3回筑後川をを渡ることができた。

分かったことは、途中の大川市国際医療福祉大学前で乗り降りする人が多かった。

何とか2時台に柳川につくことができた。

堀割の船に乗りたいが、乗れるか?3時ごろで終わりになるようなので、どうかなと思いながら、船会社に行ってみる。

1店目は、シャトルバスで旧立花邸の近くまで行って戻ってくると言われたので、想定していたのと逆コースだった。辞退し2店目に行った。

2店目は、丁度これから最終便がでるということで、乗船可能だった。

 

定員20~30人ぐらいで、列の一番後ろに並んで乗船した。

最近読んだ小説に、船で通学する高校生が出てきて、そのイメージの船に乗りたかった。

なので、このアクティビティのために柳川に来たと言っても過言ではない。

お客さんは半分以上は外国の方と思われた。

菅笠に法被姿の船頭さんが川底に竿をさして船を操作する。

船頭さんは、日本語、英語、アジアの語?などで堀から見える柳川の街を案内し、時には歌を歌ったり、ジョークを言ったりして、お客さんを楽しませていた。

エンターテイナーと言ってもいい。

 

総延長900km。堀割はあるらしい。引き延ばすと大体柳川から千葉県までの距離に相当する。こういう景色を現存しているのは、市民全体の努力によるところが大きいようだ。

一時は堀割がどぶになり下がり、暗渠化論も出てきた時期があったらしい。

それが今では、一大観光名所となり、自然環境も維持している。川下りの船会社が6社ぐらいある。それを市民で支えている。掃除をしたりもするし、川から大きな歌声が聞こえてこようが甘受している。

それほど堀割を誇りに思っているのだろう。

 

途中、船の幅ぎりぎりの橋の下などを、船をコントロールして通らなければならないポイントがある。船頭さんの熟練の技で見事に通ることができる。

様々な人物が出る地でもある。

堀を進んでいくだけでも、有名人のゆかりの地があった。

妻夫木少年が通っていた小学校(かっぱのデザイン)。

松岡選手が通っていた高校(テニスのクラブハウスのような所、ボールを打つ音が響く)

北原白秋の生家。

個人的にこの人もかと思ったのは、海老名弾正先生。

わが師の師である吉野作造先生の師匠にあたる人だ。

また、秀の山親方の出身地でもあるし、忘れてならないのが、徳永英明

そう、この街のどこかで壊れかけのレディオが鳴っていた。

そう思うと、散策がてら徳永メドレーを歌わずにはおれなかった。

 

そうこうしているうちに、日も暮れたので、旧立花邸お花を見て大名気分を味わった後、白秋の家は門前だけ拝んで、名物のうなぎせいろ蒸を食べた。

この日も、温泉「はえんかぜ」で疲れを癒した。

宿に帰り、リビングルームで本を見ていると、宿のスタッフといろいろな話になり、詳細に突っ込んでしまうと時間がいくらあっても足りないと思うぐらい話し込んでしまった。

なので表面的なことだけ聞いたところによると、その人は東日本大震災の後に山元町でボランティア活動をしていたそうだ。

 

それでも、そろそろ寝ようかっていうぐらいの時間まで、ついつい話してしまった。

そうだった、この宿のコンセプト、「親戚の家に来たような」だった。

妙な居心地の良さを感じながら、眠りについた。

つづく

 

はも