おはこんばんちはー。やすです。
今日は、仙台合唱団の復興支援活動に参加してきました。
東日本大震災以来、取り組んできた各地の復興支援住宅等での歌う会です。
今回の歌う会で、50回目を迎えました。
おめでとうございます。
私自身は、その50回のうち何回参加できていたかはわかりません、ほんの数回ぐらいかとは思います。しかし、それに参加するたびに心の中に積み重なっていく思い出があって、とても大切に思っている活動の一つです。
詳しくは、仙台合唱団のブログをご覧ください。
今日伺ったのは、山元町燕の杜集会所です。
お客様34名、団員12名で楽しく歌うことができました。
この「燕の杜」という地区は、新しい街です。カーナビの地図に出てこないぐらいなので、何もないところに作った集落なのだろうと推察されます。
実は、2018年の11月に、この地を訪れています。
このわげブログで「歌声喫茶」で検索すると簡単に出てきます。
その時の記事がこちら、
https://sendai-acappella.hatenablog.com/entry//201811/article_8.html
その当時は、駅ができたばかりの頃で、駅周辺には何もなかったと記憶してます。
今回行って見ると、駅前にいろいろできてたり、学校ができてたりして、どことなく変化が見られた気がします。
必ずしも、街ができて賑わうっていうだけが、復興というわけでもないのでしょうが、何かが進んだのだろうとは思います。
その間に、この地に来た人、去った人、いるでしょう。
心の復興ということであれば、それは被災地区の問題に限ったことではない。
あの震災の日、東北にいたほとんど誰もが、生きることを諦めるまではいかないにしても、何があったとしてもまあしょうがないか、ぐらいには思ったに違いない。
そんな気持ちに追い打ちをかけるような、冷たい雪も降ってきたっけ。
だから、無力であるという前提を知った上で、音楽で人に寄り添い、復興の一助になればと思い活動を続けている。音楽に力があるかどうかは、紅白歌合戦みたいにはっきり言い切ることはできませんが、とりあえず信じるのが合唱人の仕事。
お客様の笑顔が答えだと書けば、うまくまとまるかな?
笑顔はお客様自身の力、生きていく力で、それを引き出す場所も借り物。
結局、私たちが提供できたのは、一緒に過ごした時間ということになる。
どれだけ、お客様と主催者の境界をなくしつつ、もてなしていくことができるか、という視点で見ていこうと思う。
会場の壁にはペンギンのカレンダーが、「燕の杜」は私の中ではペンギン村です。
バイチャ!!
やす